ふみ、家出少女になる。
私は中学に上がる少し前になると父から家庭内暴力を受けるようになった、殴られるのは母でも姉でもなく決まって私だけ。
例えば夕食の最中に醤油を取って来いと言われて醤油をテーブルに置く、その時に悪気はないけどカタッと音が立ってしまっただけで「親に対してその態度はなんなんだ!」とものすごい勢いで殴られた。
狭いアパートだったけど、居間から台所までぽーんと飛んだ事は何度もある。
そう言う時は決まって母はパートに出ていて、姉はかなり遠い私立高校に推薦入試で合格し無理して通っていたので帰りは20時を過ぎないと戻って来なかった。
親に殴られる時のあの気持ち、父親が般若のような形相で顔を真っ赤にして鼻の穴を膨らませてハァハァ言いながらブン殴ってくる。
酷い時はテーブルで頭を殴られて首が動かなくなって病院に行った。
医者はすぐに虐待だって気付く、だってあちこち身体中が痣だらけだし爪が食い込んで皮膚が引っ掻き回された跡もあるんだから。
警察に通報しますと言われて、それだけはやめてくださいと懇願した。
また殴られるのも嫌だし、母はすっかり見て見ぬフリだ。
外で野宿も冬場はきつい、いくらグレてたって溜まり場の先輩の家にもカップルがいるから毎日は行けない。
ヤマトを失ってからの居場所は、せいぜい寒空の公園の東屋か24時間のコインランドリーくらいだ。
次にもし病院に同じような事で来たら今度は絶対に通報するからね、と念を押されて帰路につく。
ヤマトに貰っていたお金も病院代で底をついてきた。
父親を殺そうと計画した事がある、二人きりの時はいつもタオルに包んだペティナイフをこっそり側に隠していた。
警察に電話して聞いた事がある、父親のDVでもしやり返して死んでしまったら私は殺人の罪に問われるのか正当防衛になるのかと。
答えはびっくりすることにNOだった、正当防衛が成立するのは夫婦間だけで親子の間では成立しないとの事だった。
そんな事より今から迎えに行くからあなたを保護したい、話を聞かせてくれないかと言われて電話を切った。
本当に成立するのかしないのかはわからない、調べたら今ならすぐにわかるだろうけど当時は私を保護したくてそう言っただけなのかも知れない。
真相はさておき、父親が私に難癖をつけてイライラし出して手を出すのはサラ金などの返済期限が迫った時だ、必ずお金がなくなるとそうなった。
自分はそんな父親に殺意を抱きつつも哀れむ気持ちも持っていた。
私くらいしか当たりどころがないんだろうと、きっと私が憎たらしい訳じゃなく当たる所が他にないんだよと。
そんな風に言い聞かせていたある日、父親が母のいる時に私の目つきが気に入らないと言って殴り始めた。
母はびっくりして止めに入った、当然「お父さん何してんのよ!」となる。
私が殴られながら反論すると、今度は何故か母親が逆上した。
庇ってくれると思っていた唯一の救いの手は差し伸べられる事はなく「お父さんがこんな風になってしまうくらいにお前がお父さんを怒らせたんだ」と言う母の勝手な決め付けで馬乗りになって殴りかかる父親と一緒に母親も私に蹴る殴るの暴力を振るった。
結局全てがそう、私はさっきまで居間で本を読んでいただけ。
それでも目つきが気に入らないと殴られる。
盗んでもいないのに万引きが流行れば主犯格にされ、暴力事件が起きればその場にいなくても私のせいになった。
学校で金品がなくなれば1番に私が疑われる、疑われても晴らしもしないし言い訳もしないからされるがままだ。
そんな気力なんかない、どこにあるって言うんだよ。
家に帰れば爆弾を抱えた気分で今日の父親の機嫌を伺いながら殴られる事に備える。
眠っている最中に2段ベッドの上から髪を掴んで下に引き摺り降ろされて何をわめいているかは聞き取れないけど、耳から血が出るまで殴られた。
気づいたら病院にいた事があるけど、目覚めたら隣にいた母が「お父さんにあんたが酷い事を言ったんだってね」と言って真相を聞こうともしなかった。
だから私は自分の気持ちを常に殺してきた、それでいい。
とうとう出て行って欲しいと言われた15の頃、ポケットに300円だけしかないのに家を出た。
寝泊まりはコインランドリーが暖かくて雑誌や漫画もあるし24時間あいているから安全。
お風呂は友達の親がいない時に借りて、おにぎりを恵んでもらったりした。
うまい棒を1日1本買うと当時は10円ポッキリで買えた、今は公式メーカーからうまい棒を4分割にする機械が売られているらしいがそんなものはないので自力で水平な所に置いて上から均一に力を入れると4分割になる。
それを朝に1/4本食べ、昼に1/4本食べ、夜に残りの2/4本を食べる。
甘いものが恋しくなったらツツジの蜜を吸った、水は公園でいくらでも飲める。
コインランドリーで何度も読んだヤンマガやサンデー、ゴシップ雑誌に飽きてきた頃。
着替えを詰めたリュックをふと見つめた。
パンパンになり過ぎて玄関のドアに突っかかって出れなくなってしまった私の背中を、母親が思い切り「オラ!さっさと出て行けよ‼︎」と蹴り入れて押し出した事を思い出す。
勢いよく前につんのめって転んだ手の平は擦り剥けて痛かった。
家を出てからもうすぐ20日、うまい棒も残り10日しか買えない計算になる。
最後のうまい棒を買った日、私は初めて恐喝をして3000円を手に入れた。
だからって何がどうなる事はなく、もちろん捕まって家に連れ戻された。
ボコボコと言うよりベコベコに殴られて姉とも疎遠になって、私は地元で家出するには限界があると悟った。
しばらくして、自分はイタズラ電話ではなく援交目的でテレクラを使うようになった。
地元で1番大きな繁華街に家出をした。
誰も私を知らないのはちょうどよかった、居心地が良い。
援交で手にした大金で毎日遊んで派手な服に派手なメイク、未成年なのに酒もタバコももっとよくない物にも手を出した。
周りには自然と集まってくる家出仲間たち、皆どんなに悪びれてみたって悲しい心の傷がどっかしらにある。
その頃自宅には3000円の恐喝事件の呼び出し状がきていたようだが、自分はとっくに地元にいなかったので勿論無視した形になる。
私はこの新しい土地で人生で1番最初のだめんずに出会い、事件に巻き込まれる事になる。
今でも一生忘れない、様々な傷を胸に抱えているけれどこれが1番最初の傷になる。
男に裏切られた女は皆「男なんて」と言う。
女に裏切られた男は皆「女なんて」と言う。
人間に傷つけられた人間はなんて言ったら良いんだろうね、この歳になっても今でもわからないのだけれど。
1個だけわかるのは、どれだけ殴られても痛いのは身体だけ。
心が痛いのはとても悲しい、そして寂しい。
私はもう、そんな風には生きたくない。