ファーストだめんず・後編
少し間が空いてしまいましたが、後編。
ふみはこの時14歳でヤマトは38歳、24も違ったら親子に見えても不思議ではない。
今なら写メを送ったりSNSで写真をあげたりして互いの顔を知ってから会う方法はあるけど、私たちの出会いはテレクラ。
つまり声だけしか情報がない、話してる事も全てが本当とは限らない。
ヤマトだって会うまでは自分が妻子持ちで彼女がいる事を隠していたし、前編では次の日曜日としか書かなかったけど実際に私とヤマトが会うまでには約1ヶ月程を要している。
理由は単純で自分がテレクラにイタズラ電話と言う簡単な感情としてではなく、会いたいと言う感情を持ってしまった受話器越しの男に本当に会う事に躊躇いもあったからだ。
前編に書いた通り、自分が躊躇った理由はヤマトの容姿や素性なんかが理由ではない。
好きになってしまったら苦しい恋だとうっすら感じていたからだ、実際会う事になる頃には本当はもう好きだった。
ついにご対面となったヤマトは歳よりずっと若く見えて、イケメンとまでは言えないまでも決して不細工ではなかった、中肉中背の茶髪の男で会ってすぐに別居中の妻子持ちである事と高校生の彼女がいる事を告げられた。
もしその事を伝えたら会えなくなるのは嫌だったから今日まで隠してしまった、今すぐに帰っても仕方ないと思っていると言われて胸がツンとした。
でも私は帰らなかった、ヤマトは別居中なのでスタジオの中にある自室で暮らしていた。
私たちはスタジオで散々喋ってご飯を食べて、いやらしい事はしばらくしなかった。
ハグとキスくらいで、もう少し先の事をするようになるまで結構何回も会った。
ヤマトは勿論したいと言ったけど、私は最後までする事を断っていた。
ヤマトに会えば会うほど好きになった。
父親に殴られてフラフラしながら連絡をすれば車で飛んできてくれたし、スタジオの受付のお兄ちゃん達も経営者のヤマトが私を連れて来る事に慣れて来た。
お兄ちゃんも色々話しかけてくれるようになったし、父親が荒れて帰りたくない時は泊めてくれた。
連絡して制服のまま会いに行くとロリコンなのでヤマトは大層喜んでくれたけど、私は知ってる。
クローゼットの中に、有名な女子高校の制服がかかっている事を。
ある時こっそり受付のお兄ちゃんに聞いたら、それは彼女さんの物だと教えてくれた。
落胆した姿は見せていないつもりでも受付のお兄ちゃんは私よりも大人だ、すぐに見抜かれた。
受付のお兄ちゃんは、ヤマトさんはいい人だけどあんまり好きになると後が辛いよと言った。
「ふみちゃんと彼女以外の子を連れて来る事は絶対にないし、君の事を特別に思っているのは見ててもわかる。でも本当に幸せ?」と聞かれて私は俯いてしまった。
ヤマトと一線を越えられなかったのは処女を捨てるのが怖いからじゃない。
いつもベッドの向こうにあるクローゼットの中が気になって身を任せられなかった。
あのクローゼットの中にある彼女さんの制服が、ずっと私達を見ている気がして。
ただの布切れの制服が〝彼女さんの存在には勝てないよ〟と言ってる気がして。
ヤマトは私が野宿をしたり親に殴られてフラフラするのを嫌がった、別れ際にいつも5000円をくれた。
ちょっとそう言う事をしようとしまいと必ずくれた、援交みたいでイヤって言うと心配しているんだから素直に受け取ってといつも言う。
当時の女子高生の援交相場はウン十万だ、容姿が良ければもっと。
容姿が悪くても処女なら高値がつく。
私にくれていた5000円は私の価値がその金額と言う意味ではないと信じていた。
貧乏な我が家にとっても大金だし、何故こんなお金を持っているのかはばれないように工夫した。
初めて5000円を貰った時に本心ではこれはお金の関係で、そこに愛や恋はないとわかってた。
だから書く相手もいないのに何に使っていいのかわからず、ガラにもないほどに可愛いレターセットとシールとそれから可愛いペンを買った。
いつか踏ん切りがついたら、これでヤマトにさよならの手紙を書こう思って買った。
私は受付のお兄ちゃんの言葉を頭の中でずっと繰り返していた。
ヤマトは確かに優しい、私の唯一の居場所だし好きで仕方ない。
でも将来どうなる訳でもないし、実際私が切ない想いで胸を掻き毟りたい夜も彼女といる。
どんなに愛したって私の物にはならない。
どんなにどんなに愛しても自分だけのヤマトにはならない。
奥さんと子供と彼女、それに14歳の私が勝てるはずもないんだ。
ヤマトに初めて貰った5000円で買った可愛いレターセットで最初で最後の手紙を書いた。
14歳の私なりの精一杯の感謝と告白とさようならの手紙だ。
アポも取らずにスタジオに行ったら受付のお兄ちゃんが慌てて出てきて言った、今はダメだよ!彼女さんが来てるよと。
私は「もういいんだ、すぐに帰るよ。これ渡しといて」と言って手紙を渡した。
帰り道はポケットに手を突っ込んでワンワン泣きながら歩いて帰った。
ヤマトのスタジオからうちまで歩いて帰ったら4時間くらいかかった。
何が悲しかったのか、最初から知って始まった関係だったのに。
カヨコにも話せなかった、恥ずかしくて情けなくて、でもまだ愛してたから。
この当時、携帯なんかなくてよかった。
連絡はいつも私がスタジオにかけた、家にかけて貰う訳にはいかないからヤマトは私の連絡先を知らない。
学校の制服を頼りにヤマトが後日、私の学校にやってきた事がある。
真っ赤なスポーツカーは良く目立った、私は嬉しい気持ちを押し殺して裏門から帰った。
ヤマトの姿はそれが最後だ。
2〜3年後、カヨコに全て話したら怒り狂った。
電話で文句を言ってやると言うからやめてくれと言ったけど、スタジオはタウンページに載っているのでカヨコは勝手にかけてしまった。
何を言うか決めずに見切り発車でかけたもんだから、ただの無言電話になってしまった。
オンフックのスピーカーから聞こえてくるもしもし?と言う声は間違いなくヤマトのものだった、胸が痛かった。
さっさと切ればいいのにヤマトは切らない。
ただの無言電話で一言も発さなかったのに、切ろうとした間際にヤマトが言った。
「もしかしてふみちゃん?今どうしてるの?」
そんな訳ないだろうと思うでしょう?でもヤマトは続けて言った。
「今幸せにしてるの?あの後ずっと探したんだよ、どうしてあんな手紙…でも傷つけてごめんね」と。
私は声を殺して泣いた、カヨコが勝手にかけたせいなのにカヨコも泣いた。
すすり泣く声は聞こえてしまったと思う。
私はこの時期、とても不幸な時期だった。
一途でなく、卑怯であり、浮気でもあり、不倫で不誠実なヤマトは決してだめんずではないとは言い切れない。
でも私には優しい良い男だった。
泣きながら4時間かけて歩いて帰った次の日、私はその辺の知らない男と寝た。
処女はそんな捨て方だった、大事な物だと思っていたからさっさと済ませて大事じゃなくしたかった。
私のだめんず遍歴は自分が招いた部分もあるだろう、全部を他人のせいにする気はない。
ただ思うのは初めてをヤマトに捧げなくて良かったなーと言う事、捧げていたらきっと離れられなかった。
14歳でどんなに愛しても自分だけの物にならない愛の辛さを知った、地獄のような葛藤だった。
皆がクラスの誰それが可愛いだの、サッカー部の誰がかっこいいだの、アイドルや芸能人の話に夢中になっていたあの頃。
私は悲しいけれど愛を知った、そのあと数年経ってかけた無言電話でもヤマトは私を感じてくれた。
ただそれだけが当時辛い出来事に巻き込まれていた私にとって救いとなったのは、また次の機会に。