私の人生って何だろう。

最近物忘れが酷いアラフォーの人生ブログ。

箸休めと言うかぼやきとかなんか。

過去に何度も心療内科や精神科にかかっている、その度に自分はこれからどうなるのかと思ったり酷い時期は隔離病棟に入院していたので一切の興味を失ったりもした。

 

先日テレビでYOSHIKIさんが体は歳をとって行くけど心の傷は歳をとらないと言うニュアンスのお話をされていて、思わず自分の胸の辺りを握りしめてしまった。

 

簡単に人は「忘れろ」とか「もういつまでその事を考えているの」とか「過ぎた事だ」と言うけれど、私は自分が死ぬ瞬間にきっと1番最後に浮かぶ顔は親や家族でもパートナーでも子供でもなく、1番憎い男の顔なんじゃないかと思って恐ろしくなる。

 

その男の事は殺したいほど憎い、一時期はいくら使ってもいいから探し出して殺してやろうと思った時もあった。

でもその事を考えていると心がささくれだって、どんどん膨らんで、私の中で傷は広がっていった。

だから許した、許す事を選択した。

それは簡単なことではなかったけど、それ以外に術がなかった。

 

もし7〜8年前の私なら何処かですれ違ったら殺していたと思う。

でも今の私はそうは思わない、彼が生きていても死んでいても幸せにしていても不幸であってもどうでも良いのだ。

 

人は簡単に「もっと自分を愛してやれ」とか「自分を大切にしろ」と言う、私も言う。

私がどん底の沼から這い上がれたのは自分を受け入れる事を選んだからだ。

入院中のベッドである朝、突然全てがバカバカしくなり「私は自分が好きだ」と思った。

何がきっかけかは今もわからない。

でもその時に真っ暗だったトンネルの先に光が差して自分はそのトンネルの先の光に向かって歩いている。

 

そのトンネルの中をもう10年近く歩いていて、出口の近くに来てはまた少し戻ってしまったり、そのトンネルの中で良い人にも悪い人にも今のパートナーにも出会った。

 

私の人生はトンネルそのものだ、明るい地上に昔はいたはずなのに今はトンネルの中で暮らしている。

自分を愛せない人は他人も愛せないと1番最初の医師に言われた、私はその通りだと思った。

私は自分の事は好きで嫌いじゃないけど愛してはやれない、そんな価値は自分にあるとは思えない。

人として不十分で悪い所もあり性格も良い訳ではないし、持っていた自信も尊厳も結局最後に全部潰されてしまった。

それをもう一度取り戻すのはきっと無理だと思う、私自身もそれを望んでいない。

 

自分は人を信じることがなかなか出来ない、でもやっと信じられるパートナーに出会えた。

愛すると言う事は相手を信じると言うこと。

 

最初の医師は、自分を愛せない人は他人も愛せないと言ったけど私は〝自分を信じることが出来ない人は人を愛せない〟とトンネルの中を進みながら学んでいった。

(ちなみに男だけは絶対に信じない)

 

信じるという行為はエネルギーがすごく必要、人は何故嘘をついたり人を傷つけたり簡単に約束を破ったりするのだろうか。

 

今日は心療内科の日だった、今の先生に何故人は嘘をつくのかと尋ねたが先生は明確に答えられないと言った。

 

私は自分が死ぬ時に、1番最後に浮かぶのはやっぱりあの男の顔なんだろうか。

そら恐ろしい気持ちになって最近あまり眠れず昼過ぎに転た寝してしまう事が多い。

だいたい見ない夢をそう言う日は見てしまって、死ぬ間際の自分が病室にいて家族や友人やパートナーが自分を囲んでいるのだけれど、私はもう皆の事を見れていなくてどんどん視界が暗くなって、その暗闇にはあの男の顔があって飛び起きる。

 

もっと他の物を思い浮かべて死にたい。

せめて幸せになれたんだったら、あの男の顔だけはやめておくれ。

 

私がトンネルを抜けたら、きっと違う何かが見えるんだろうか。

何故かYOSHIKIさんの言葉があの放送以来ずっと胸にある。

 

私の傷は今もあの時のまま、一歳も年をとっていないのだった。