私の人生って何だろう。

最近物忘れが酷いアラフォーの人生ブログ。

ファーストだめんず・前編

幼少期や思春期の話は人生を綴るにあたって欠かす事の出来ない部分である。

何故私がこんな事になったのかを語るのに必要な点が多いのだが、だめんずについて語りますと言っておきながら1人目すら出て来ていないので今日はファーストだめんずについて。

 

〝ファーストだめんず〟と言うくらいなので初めて付き合った事になる人である。

正確には読み進めて行けばわかるが、彼氏とは言えない。

 

出会いは当時中学2年の時に流行ったテレクラ(テレフォンクラブ)へのイタズラ電話だった。

適当に話を合わせて待ち合わせ場所に来る男を陰で見ては笑い者にすると言う、14歳ならではの実にくだらない暇つぶしだ。

私は既に小学5年でグレていたので中学に上がっても学区の中では噂になっていたし、学年の同類の男女以外からは煙たがられていたのだがそんな自分にも親友が出来た。

カヨコと言うお金持ちの家の可愛い子だ。

 

私はその日も暇つぶしにカヨコと一緒にイタズラ電話をしていたのだが、当時はまだ携帯もないしあってもポケベル。

電話に出た男は35歳でスタジオを経営している中学生が好きなロリコンだと言っていた。

カヨコは電話ボックスの外で雑誌を読んでいて交替でイタズラ電話をしていたのだが、私達は14歳なのにOLや大学生の演技をしていた。

でも初めて中学生、要するに等身大の自分で会話しても良い男なのかと思うと親近感が湧いてしまった。

会いたいと言われて地元から少し先の駅前に迎えに行くから、とスタジオの電話番号を告げられた。

紙がなくてたまたまあった鉛筆で公衆電話に番号をメモった時に、カヨコが雑誌を読み終えて扉を開けたので私はハッとして受話器を置いてしまった。

その後、適当に遊んでカラオケ行ったりご飯食べたり夜遅くまで喋っては暗くなって帰る。

布団に入ると何故かあのテレクラの男に罪悪感が湧いてきた。

イタズラ電話なのに罪悪感が湧いたのは初めてだし、湧く方がそもそもおかしい。

でも優しい声だった、本当に待っていたなら悪い事しちゃったなと思った。

優しいロリコンとか今なら当然ヤリたいんだから当たり前だよと自分にツッコミを入れるところなんだけど、なんせグレてる割には素直になれないだけで普通の感情だってあった。

 

次の日、私は思い切って公衆電話まで行った。

鉛筆で書いた番号が消えていたらすっぱり忘れるつもりだった、でも番号はあった。

フリーダイヤルのテレクラではないので、家にあった何かの記念のテレカをこっそり棚から持ち出して電話してみた。

心臓はバクバクしていたし、出た人が昨日話した人と違ったら?とも思った。

何コール目かで電話が繋がると、受話器の向こうに出たのは昨日話した男そのものだった。

 

「昨日話したふみだけど途中で切ってごめんね、なんか悪い事したなと思って気になっちゃって」と言うと男は開口一番にこう言った。

 

「テレクラで話しただけの中年に悪い事したなんて思うの?ふみちゃんは良い子なんだね」と普通に言った。

 

良い子。いいこ。イイコ。いい子。善い子。

 

私がもう何年も言われなくなった言葉。

この頃は父親にほぼ毎日殴られていたし、帰らないで野宿する事も良くあった。

スレてみせたところで所詮は14歳のガキだった、その言葉が嬉しくて嬉しくてたくさん話した。

家の事や親の事、学校の事やくだらない事、テレカがなくなる寸前まで。

 

男はヤマトと名乗った。迎えに行くから会って話そうと言われて次の日曜日に約束をした。

私はヤマトがどんなに不細工でも気持ち悪い男でも良いから会いたいと思った。

 

日曜日、赤い車が近づいて来る。

ヤマトは35歳と言ったけど実は38歳の妻子持ちで、現在別居中。

なんと高校生の彼女もいるそうだ、この時点でだめんずだと思う。

会う前に言えよ、とは思わなかった。

言われていたって自分は恐らく会っただろう。

この時胸がちくっとした気がしたけど気にしない事にした、気にしたくなかった。

 

この後しばらくの間、14歳なりに私の切ない恋がほんの少しだけ続くのだった。

 

子供の頃のわたし。

前の記事に書いた通り、我が家はまさに

天から地に一気に突き落とされた形となった。

 

小学校5年のある日、クラスの女子のAさんから

誕生日会へ来ないかと誘われた。

私は前述の通り毎日の夕食を1000円でどうにか

していたし、小遣いはなかった。

畳まなかった自営の内職手伝いをして、

300円くらい貰える時もあった。

でもプレゼントを持って行くにはお金がない。

私は物持ちが良くそれは昔から変わらない。

 

金持ちの頃に買って貰い、これだけはと大切にしていた陶器の宝石箱があった。

私は思い切ってそれをプレゼントに持って行ったのだけど、それが全ての失敗の始まりだった。

 

翌日、Aさんの親から学校に連絡が入りパート中の母が学校に呼び出された。

PTAの会長や役員、担任に校長と教頭などが

母を待ち構えていたらしい。

すると机の上には私の宝石箱があった。

Aさんの両親から「娘のプレゼントにあまりに高価な品物があった、外箱もないし万引きしてきた物だと思う」と。

万引きしたものを寄越すなんてと、そう言われ

母は激怒し、私は後から聞かされ号泣した。

 

外箱はお古だと思うとみっともないから下手くそなりにラッピングして渡したんだ、ある訳ない。

ところが運悪く、その頃ちょうど学区周辺では万引きが大流行していた。

 

私が主犯格なのでは?と言う話になったが、

母は絶対にあり得ないと断言し帰宅した。

 

数ヶ月して、そのPTAの会長の娘が周辺の文房具店や雑貨屋、駄菓子屋などを万引きしまくっていた主犯格だと発覚するのだが…

残念ながら私は着せられた濡れ衣を晴らしたいと言う心を持てなくなった。

11歳の私にはあまりに酷な出来事だった。

 

何も悪いことをしていないのにどうせ濡れ衣を着せられるなら、皆の期待通りに着こなしてやろうと思った。

目付きが悪いとか普段からの素行が怪しいとか

言いたいように好き勝手言われた。

5年生でクラス替えがあったから、友達になれたらと思っただけだった。

そんな些細な望みを抱いた事で自分は深く傷ついた。

 

タバコを吸い始めたのもこの頃、早朝からいない両親にバレる事なく学校を昼頃から行くようになったり、喧嘩に明け暮れた。

そんな漫画みたいな話は有り得ないと思うだろうけど、実際そうだった。

知らない学校の知らない男も女もぶん殴った。

ちなみにこの数年後、自分はきちんと制裁を受けるのでその話はまたいつか。

 

とにかく、

 

人を信じるとロクな事がないんだとせっかく

この時覚えたのに、私はこの先出会う男たちを

信じていないと言いながら

「いつかわかってくれたら…」と、

「私と別れて何十年経った後でもいいから、あいつがあの時言っていたのはこう言う事だったのか」と、

そう思ってくれたら、全てが報われると思っていた。

でもそんなのは独りよがりだ、強がりだ。

 

私は結局、人を信じる事が出来ない人間になった。

常に疑ってかかっている訳ではないが、人を信じると言う事は物凄く疲れる。

とてつもないエネルギーを消費する。

 

恋愛に於いては特に、この信じると言う物が

重要になる。

信じると言う事は誠意のようなもの。

恋愛以外の人間関係、仕事や友人など全ての

人付き合いに「信頼」と言う誠意がつきまとう。

 

私はこの信頼を上手にする事が出来ない。

猜疑心に苛まれたり、心を痛めたり、

病んだりするのはもう嫌だ。

 

信じる、と言う第1ステージに登れない自分は

恋愛をする資格なんてないのである。

だって男を信じる気もないし、今はハナから

要らないと決め込んでる。

 

これからだめんず達の話の合間に思春期の話題なども織り交ぜて行くが、

どう生きて行ったらまた男を信じられるのか、

もしこの世にそんな方法があるとしたら

自分が死んだ後だろう。

 

なんせ信じるなんてまっぴらごめんだ。

男に面倒見てもらうくらいなら野垂れ死んだ方がいっそ清々しい。

 

男を好きになると言う感情を完全に失くした。

そもそも信じる事すらできない私に、

誰かを愛する権利なんかないからね。

 

そんな権利、もう欲しくない。

ただ平和に生きていたい、それだけなんだ。

 

だめんずヒストリーの前に。

自分の幼少期の話をしよう。

軽く生い立ちくらい書いておかないと、これからの

ヒストリーに重みが出ない気がする。

私の両親は今も健在だが、今は慎ましく暮らしている。

昔は自営でかなりの金持ちだった。

私は2人姉妹の下で、部屋は個室・寝室・勉強部屋が

それぞれ別に与えられていた。

私も姉も小学校はそれぞれ別の有名お嬢様私立に入学。

外車三台、買い物はデパートでしかしない。

近所で一番の豪邸で、玄関に人が暮らせると言われて

いたほどのキャパシティだった。

ところが私が小学校2年の頃に父が手形詐欺にあった。

ドラマみたいに母が窓から灯りが漏れないよう、毛布を

あちこちの窓に打ち付けて家中を暗くした。

ガムテープで補強して、何の意味があるかわからないが

あっと言う間に我が家の雰囲気が変わった。

ある日、2階でお姉ちゃんと静かにしていろと言われ、

寝室のベッドの脇に隠された。

母が「今日はお母さんとかくれんぼしよう」と言う。

3歳上の姉は何かを悟り静かに頷き、

私は無邪気に喜んだ。

しばらくするとどやどやと人の気配がして、

男の怒鳴り声が飛び交った。

ヤクザの取り立てだったんだと思う。

母と始めたかくれんぼは確か昼ごはんの後だった。

外が暗くなって夕飯時になる頃、

ラップに包んだおにぎりを母がこっそり持ってきた。

シーっと口元に人差し指を立てて出て行く。

その時の母の服もエプロンも今でも覚えている。

何度も飽きたと言う私、出て行こうとすると姉が腕を

ぐっと掴んで首を横に振った。

大人になって後から知った話だけど姉はその時、

父が支払い出来ないならヤクザに連れて行かれると言う

展開になっていたのを知っていたそうだ。

その日突然来る事になって、私たちを預ける余裕もなく

子供は今、親戚の家にいる設定になっていたとか。

その事を知っていた小学校5年の姉はあの時、

どんな気持ちで私の腕を掴んでいた事だろうか。

もそもそと塩と海苔だけのおにぎりを食べた。

いつのまにか寝てしまい、気付くとベッドに寝かされ

その後お金になるものは全て売り払い、学校もやめて

夜逃げする事になる。

家は約30年前にして1億2千万で売れたそうだ。

信じないと思うけど、4人家族の靴だけで4tトラック

一台分あったんだ。

売ったり捨てたり、父や母は忙しそう。

私は新しく過ごす新居のアパートの狭さに驚き、

「新しいおうちは狭くて体があちこちぶつかるの」

と、祖母に言った。

前の家の玄関くらいの空間に越して、いきなり今日から

ここが我が家ですと言われた訳だから。

こっちとしては理解出来ない。

私立はお弁当だったけど公立は給食。

制服はなく、ランドセルは黒だったけど赤になった。

使い古した赤いランドセルが嫌だった。

お姉ちゃんだけは私立時代の黒のランドセル。

私も前のがいいと怒ると、これで我慢しなさいと

怒られた。

今ならわかる、姉は5年生。

中古でもランドセルは今ほど安くなかった。

全ての家財、家、宝飾品を売り払っても借金は

数千万円あった。

お古を譲って貰える知人もいない新境地で2人の

ランドセルを買うお金はなかったはずだ。

母は言った。

「お前はまだ2年生、あと4年通うのよ」と。

姉は女の癖にランドセルが黒いとからかわれた。

でも姉は「私は良いよ、あと1年だから」と言って、

ランドセルをぎゅっと握った拳が忘れられない。

湯沸かし器も買えない極貧生活、母はやかんで湯を

沸かしながら水を温くして洗い物をした。

父は自営を畳まず小規模に続けたが、

親族中から借金をして消費者金融からも借りまくり、

家計は火の車。

いつも帰ると手作りのおやつを用意して待っていた

専業主婦の母はもういない。

パートを掛け持ちして家計を支えた。

朝起きると朝食が置かれていて早朝の清掃パートへ。

学校から戻るとやっぱりいなくてスーパーのレジ打ち。

父はトラックの運転手になった。

この頃私は小学校4年くらいで、夕飯の買い物と家族

4人の夕食を作る係になった。

姉は中学に上がり部活があるから帰りが遅い。

置かれた千円札を持ってスーパーに行く。

買いたいおやつを我慢して必要最低限の物を買う。

今みたいにインターネットもないし、クックパッド

ないから料理の本を見ながら作った。

今でもあるよ、ボロボロだけどその時の料理の本。

父は段々と人が変わり、母も荒んでいった。

借金の返済日が近づくと父は決まって不機嫌になり、

何かと理由をつけて私に当たるようになった。

私は小学校5年でグレた、信じられないだろうけど。

今日はもう胸が苦しい。

続きはまた今度。

私は恋愛に興味がない。

男性恐怖症とか性嫌悪だとか自称していても、

実は全然平気なんじゃねーかよと言う人をSNS

結構見かける。

 

かく言う自分も、昔は大丈夫だった。

何せ一度は結婚もしたし、子供もいるからね。

でも今は全くダメ、2人きりで遊ぶとか無理。

複数で遊ぶ中に男性がいるのは良い、女だけの方が

正直有り難いけど一対一じゃなければ良い。

 

そう言う場面で男性と会話する時、自分はその人を

「男」として認識しないように注意している。

例えば「田中さん」と言うお名前だとしたら、

「田中さんと言う生き物」だと思うようにしている。

 

それでも自分に好意を向けられると途端に嫌いになる。

〝田中さんと言う生き物〟だから許せていたのに、

男女を感じさせられた時点で存在自体が自分にとって

敵であり嫌悪の対象になり大嫌いになってしまう。

 

セックスなんてオリンピック二回分はしてない。

やり方も忘れたし、思い出すと吐き気がする。

電車は女性の隣か端にしか座らない。

隣に友人がいる場合は端が自分、友人の順に座る。

1人の時に隣に男性が座ってきたら、失礼極まりないが

席を立つ。

 

今の自分は幾人ものだめんずによって形成された、

トラウマの集合体だ。

 

金を毟り取られ、殴られたりは普通。

浮気は日常茶飯事、しない人はいませんでしたね。

 

息子の為にせっせと貯めた貯金を使い果たした

トップ・オブ・ゲスもいた。

自分から付き合ってと言っておいて、鏡が割れるまで殴られて

「お前みたいな可愛くない女は見た事がない」と言う

謎の罵倒付き。

働かないで私の金に手をつけ、クレジットカードを

勝手に切ってはプレステを買いまくり、ゲーム屋で即

売って現金にする。

 

働かないから風俗で養って何でも言う事を聞かないと

一語一句尋問してくるチンピラもいた。

 

独身だと言うから付き合ったら嫁も子供もいて、

引っ越し祝いに家電を買わされた事もあったけど、

当然それ、嫁と子供と使う家電ね(笑)

 

こんなのはまだまだ可愛いもんだから。

 

別れた旦那は子供が生まれて半年で浮気。

養育費はバックれられて昼職と風俗の二足の草鞋で

旦那が残した私名義のローンを返済した。

 

これらを細かく掘り下げるつもりなんだけど、

振り返ってみると15歳くらいから自分は男に関わると

ロクなことがない。

それでも女に生まれたからには、いつかきちんとした

家庭を持って幸せになれると思ってた。

 

ある決定的な事件が起きるまでは。

 

勿論、自分に男を見る目がないって事は良くわかった。

責められても「あ、ハイ」としか思わない。

 

でもさ、私だって人間なんだよ。

見る目がないお前が悪いって簡単に言う人いるけど、

それ言ったらそれまでだよ。

見る目がない人はどんな目に遭ってもいいの?

私も人間だから心がある、一応ある。

心って言うか正確に言うなら脳だよね。

 

安心しきって寝てる時に寝顔が最高にブスだからって

友達呼ばれて寝顔の写メの撮影会とかされた事ある?

普通ないよね、カシャカシャ鳴ってて目が覚めたら、

ゲラゲラ男たちが笑っていたよ。

 

だから私はブスで男に関わるとロクなことが起きず、

〝女としての幸せ〟なんてヌルい夢は見ないで

息子と生きる事が一番傷つかないって悟ったんだ。

金銭的にも息子の将来的にも父親がいた方がいいと

思って無理して恋愛してたところもある。

 

私を苦しめた数々の男たちが今どこで何をしてるか、

私は知らないし知りたくもない。

どこかで会っても多分何の感情も湧かない自信がある。

 

だって私の男に対する期待なんか、とっくの昔に枯れ

果てて今は微塵も残ってないからね。

 

だから私、恋愛には興味がないのです。

 

次からはベストセレクション的にだめんずとの

ヒストリーを書いて行きます。

はじめまして。

ふみふみと申します。

私の人生はめちゃくちゃです。

めちゃくちゃ過ぎて今は心療内科に年単位で通院中。

最近物忘れが酷くなってきて、そのうち自分の人生まるごと忘れてしまう気がしてきた。

辛かった事や苦しかった事まで忘れて行きそう。

忘れてしまった方が楽になれるはずなのに、

どうやら私はそれらを忘れたくはないらしい。

このブログは自分の人生の備忘録みたいな感じで、

時系列とかにはこだわらず、

ぽつぽつと自分の人生を記録して行こうかと思う。

誰も興味がなくてもいいし、

誰かが興味を持ってくれてもいい。

とりあえずそんな感じで、気の向くままに書きます。

ここはそんなブログです。