私の人生って何だろう。

最近物忘れが酷いアラフォーの人生ブログ。

箸休め的になんかポツポツと。

私は初めて心療内科に運ばれるまで、自分が鬱などの精神疾患を抱えている事には全く気付かなかった。

最終的には無理やり運ばれる事になるんだけど、それまでは自分のメンタルは強靭で傷ついたとしても〝全てを諦める〟と言う行為でその傷に蓋さえしてしまえれば、何でも我慢で済ませられると思っていた。

逆に言うと、その頃は人の嘘や裏切りに良く傷ついて絶望感を抱く度に「死んじゃいたいな」と思ったりしたし自分の体を傷つけたり、根性焼きで肉を焼いてみたりしていた。

その理由は単純明快で心の傷は目に見えないから自分の体を傷付ける事で、その傷跡を見るとその時に付けられた心の傷が目に見えてホッとすると言うか、自分に納得する事が出来たんだと思う、そしてその傷を見る度に怒りと絶望ともうこんな思いはするもんかと誓いを新たにしたもんだ。

 

団地の屋上のフェンスを越えて足の先は宙に浮いている状態、あと寸前で飛び降りるぞと言う所で発見されて引き摺り上げられた事もある。

時刻表や乗換案内のアプリなんかも当時はないので本屋で分厚い時刻表の本をみたり駅でくれる紙の時刻表をみて、始発のどの時間なら被害が最小限で飛び込み出来るか計算した事もあった。

 

でもいつか誰かに私の気持ちを、何十年も後でいいからわかって欲しいと思って死ぬ事は出来なかった。

酷い事をした男も私を騙した男もたくさん殴った男も最初から最後まで嘘しかつかなかった男も、いつか本当に愛する人が出来た時に私が口酸っぱく言ってきた事を思い出して「あの時あいつが口うるさく言っていたのはこう言う事だったのか」と、そう思って貰えたなら相手の人は幸せになって自分の苦労は報われるんじゃないかと信じていたかった。

その人に幸せにして貰いたいとか改心して欲しいと言う気持ちはなかったし最初はあったとしても最終的には微塵もなくなる、諦めの境地に達するのだ。

自己満で気持ち悪いと思うかも知れないけれど自分はどんなに尽くしても愛される事が出来なかった、それならいつかクソ野郎を卒業して本当に愛する人には酷い事をしないであげて欲しいと思っていた。

 

この世に嘘をつかない人間は恐らくいない、自分は散々嘘をつかれてきたからこそ人には嘘をつく事がないようにしている。

例えば本当は5cmくらいの蛾なのに「今日20cmくらいの蛾をみたの!」みたいな、オーバーリアクション過ぎるが故の可愛い嘘はあっても決して許されないような人を傷つけたり陥れるような嘘は絶対にないようにと常に正直である事を心がけている。

良く死にたいと思った頃と最後に心療内科に運ばれた頃の私は完全に別人だった。

 

死にたいと思う事は悲しい事、それは凄く胸が痛いし辛い事だと思う。

でもまだそう思えるうちは大丈夫。

本当に廃人みたいになってしまったら死にたいとすら思わなくなった。

生にも死にも自分が何者かにも興味がなくなった、そう言う時にきっとふっと飛び込んだりしてしまうんだろうなと今は思う。

その頃は入院したし退院してやっと通院になってからも毎回「変なこと考えるんじゃないよ」「死なないでね」と先生に言われた。

あまりに毎回言うのでうざったくて「死にたいとすら思いませんよ、そんな気力もないしどうでも良い」と言うと先生は「そう言う人がね、実は1番危ないんだよ」と言って苦笑いを浮かべていたっけ。

 

自分でも私が今生きているのが不思議だなと思うくらいこの人生には色々あった、普通の女の子だったら耐えられなくてそれこそ命を絶ってしまう人もいたかも知れない。

一旦は回復したけれど病気は再発して今は通院して2年半が経った。

それでも私は不幸か?と言うと今はそうではない、異性との出会いは徹底して避けているし昔の繋がりも全てを切って捨てた。

 

じゃあ今の私は?と言うとパートナーはいる。性別は女性で性嫌悪があるのでそう言った行為は一切ない。

相手は全てを知っている、私がこれから書く出来事もおよそ平凡とは程遠い人生だった事も。

私は元々異性愛者だから急に女を愛したかと言うとそうではない、何年もの歳月をかけて殴り合いの喧嘩をしたりほんの何度かそう言う事もしてみたけれど愛より友情という方がわかりやすい気がして恋人ではなくなった。

相手には別の人が出来た事もあるし、自分はそれでも大切な人だから心から彼女の幸せを願っていたし今でもそう。

レズビアンかと言われたら答えはNoだし、バイセクシュアルかと言われても答えはNoだ。

 

私のこの独特の感情をきっと生きている間に彼女にも他人にもわかってもらう事は出来ない気がする。

くっそ腹立つ時もあるしお互いなんだかなぁと思い喧嘩に発展する事もある。

 

それでも私は今が人生で1番幸せだ。

私が男の人にして欲しかった事は彼女が全てしてくれた。

だから彼女が好きなのではない、さすがにそんな事を履き違えるほど馬鹿ではない。

私がして欲しかったのは、毎日のように笑って話したまに美味しい物を食べに出かけて彼女のショッピングに付き合ったり2人で面白い番組をみて大爆笑したり、たまには喧嘩もするけれどやっぱり大切な人だと思いやれる関係である事、ただそれだけである。

 

巨額の富もいらないし、ささやかな贅沢が月に1〜2回で甲斐性なしでも何でもいい。

彼女が私に誠実で私も彼女に誠実である事が出来ればこの関係がずっと続いて欲しい。

私が死ぬ時は看取って欲しいし、私の全てを捧げて彼女の幸せを願っている。

私は男の人にそうして貰えなかったから、彼女を身代わりにしたのかと真剣に悩んだ事もあった。

 

でも、違う。私は彼女と言う人間が好きだ。

今つらくて死にたい人、いじめられて学校がつらい人、会社が苦しくてたまらない人、色々な胸の痛みがあると思う。

 

でも大丈夫、私もなんとかなった。

なんとかなる前に諦めて死んでしまうって手もある、でもそれは最後の最後にとっておいて欲しい。

自分も結果的にはそうなった、お陰で今も鬱と向き合って生きてるけど幸せだと思うし死ななくてよかったと思う。

 

私があまりに辛い人生に疲れ果てて死のうとした直前、当時良くネットで出会って電話してた友達からかかってきた電話で「今から死ぬんだ」といった時にある言葉が返ってきた。

今日はその言葉を最後に書き留めて終わりにする。

 

「死のうと思ったらいつでも死ねるけど、やっぱりもう一度生まれたいと思ってももう二度と生まれては来れない、だから死ぬのは最後までとっとけよ」

 

21歳ちょっと前、立体駐車場の上から死のうとした私に当時17歳そこそこの複雑な家庭環境の男の子が言った言葉。

 

私は一生涯、この言葉を忘れないようにしようと思って生きている。

私より辛い人、そうでなくても辛い人、皆にこの言葉が届きますように。