箸休めと言うかぼやきとかなんか。
過去に何度も心療内科や精神科にかかっている、その度に自分はこれからどうなるのかと思ったり酷い時期は隔離病棟に入院していたので一切の興味を失ったりもした。
先日テレビでYOSHIKIさんが体は歳をとって行くけど心の傷は歳をとらないと言うニュアンスのお話をされていて、思わず自分の胸の辺りを握りしめてしまった。
簡単に人は「忘れろ」とか「もういつまでその事を考えているの」とか「過ぎた事だ」と言うけれど、私は自分が死ぬ瞬間にきっと1番最後に浮かぶ顔は親や家族でもパートナーでも子供でもなく、1番憎い男の顔なんじゃないかと思って恐ろしくなる。
その男の事は殺したいほど憎い、一時期はいくら使ってもいいから探し出して殺してやろうと思った時もあった。
でもその事を考えていると心がささくれだって、どんどん膨らんで、私の中で傷は広がっていった。
だから許した、許す事を選択した。
それは簡単なことではなかったけど、それ以外に術がなかった。
もし7〜8年前の私なら何処かですれ違ったら殺していたと思う。
でも今の私はそうは思わない、彼が生きていても死んでいても幸せにしていても不幸であってもどうでも良いのだ。
人は簡単に「もっと自分を愛してやれ」とか「自分を大切にしろ」と言う、私も言う。
私がどん底の沼から這い上がれたのは自分を受け入れる事を選んだからだ。
入院中のベッドである朝、突然全てがバカバカしくなり「私は自分が好きだ」と思った。
何がきっかけかは今もわからない。
でもその時に真っ暗だったトンネルの先に光が差して自分はそのトンネルの先の光に向かって歩いている。
そのトンネルの中をもう10年近く歩いていて、出口の近くに来てはまた少し戻ってしまったり、そのトンネルの中で良い人にも悪い人にも今のパートナーにも出会った。
私の人生はトンネルそのものだ、明るい地上に昔はいたはずなのに今はトンネルの中で暮らしている。
自分を愛せない人は他人も愛せないと1番最初の医師に言われた、私はその通りだと思った。
私は自分の事は好きで嫌いじゃないけど愛してはやれない、そんな価値は自分にあるとは思えない。
人として不十分で悪い所もあり性格も良い訳ではないし、持っていた自信も尊厳も結局最後に全部潰されてしまった。
それをもう一度取り戻すのはきっと無理だと思う、私自身もそれを望んでいない。
自分は人を信じることがなかなか出来ない、でもやっと信じられるパートナーに出会えた。
愛すると言う事は相手を信じると言うこと。
最初の医師は、自分を愛せない人は他人も愛せないと言ったけど私は〝自分を信じることが出来ない人は人を愛せない〟とトンネルの中を進みながら学んでいった。
(ちなみに男だけは絶対に信じない)
信じるという行為はエネルギーがすごく必要、人は何故嘘をついたり人を傷つけたり簡単に約束を破ったりするのだろうか。
今日は心療内科の日だった、今の先生に何故人は嘘をつくのかと尋ねたが先生は明確に答えられないと言った。
私は自分が死ぬ時に、1番最後に浮かぶのはやっぱりあの男の顔なんだろうか。
そら恐ろしい気持ちになって最近あまり眠れず昼過ぎに転た寝してしまう事が多い。
だいたい見ない夢をそう言う日は見てしまって、死ぬ間際の自分が病室にいて家族や友人やパートナーが自分を囲んでいるのだけれど、私はもう皆の事を見れていなくてどんどん視界が暗くなって、その暗闇にはあの男の顔があって飛び起きる。
もっと他の物を思い浮かべて死にたい。
せめて幸せになれたんだったら、あの男の顔だけはやめておくれ。
私がトンネルを抜けたら、きっと違う何かが見えるんだろうか。
何故かYOSHIKIさんの言葉があの放送以来ずっと胸にある。
私の傷は今もあの時のまま、一歳も年をとっていないのだった。
大都会には魔物が棲んでる・その1
ちょっとタイトルが厨二っぽいですけど、ヤマト→ハラダ→リョウタとの後にいよいよ家裁からの呼び出し状が届き父と一緒に家裁に行って反省してます的な事を言った後に地元を出て行きました。
地元から離れた1番の繁華街に何のアテもツテもなく飛び出して行った私は心底から腐っただめんずに引っかかります。
信じられないことにそのだめんずは私とタメで、16歳にしてあのだめんずっぷりはかなり見上げたもんでした。
もしこの世にだめんず王国があるとしたら、結構な地位を築いてるんじゃないかなぁと思いますが国王にはなれませんね。
国王様はこのもっともっと先にラスボス級のが出てきますんでね。
男の名前はジュンイチ、私と同い年の家はあるけど家庭が複雑だから帰りたくない系の男だった。
この頃の私の収入は援交のみで、とんかつ屋のバイトも辞めて何もかも捨ててこの地にやって来ていた。
ジュンイチとはふらついていた夜の繁華街で知り合った。
家出?と言われて手短に、そうとだけ答えたのを覚えている。
するとジュンイチは近くの廃ビルに雨風凌げて温かいし、他の家出仲間も寝泊まりしてる所があるから良かったら来る?と言ってきた。
私は援交で稼いだあとそのまま先に客が帰ってそのままホテルに泊まるか、客と朝までホテルで過ごす事が多かった。
家出仲間なんて求めちゃいないし、またロクでもないのがいたら洒落にならないので断ってさっさとその場を後にした。
ジュンイチとの出会いはそんな感じだった。
援交するのに必要なのは公衆電話と界隈で1番男性客の多いテレクラの番号、そして横並びの公衆電話が並ぶところには大体こいつもテレクラで客を探してるなって言う女の子がいるもんだ。
そのうちそこでミナコとナオコと言う二人組と知り合って、ここに来たばかりの私にいいテレクラや気をつけた方がいい客の特徴とか、待ち合わせしやすい場所、ガードが甘いホテル(※どう着飾っても明らかにこっちは未成年なので)やフロントレスのホテルを教えてもらった。
そのうち3P希望の客がいた時に互いに呼びあったりするようになった、ミナコはまだ14歳でナオコは17歳。
いつも家に帰っている様子はないけど、どうしてるの?と聞かれて適当に過ごしてると答えたら家出仲間で使ってる廃ビルがあるからそこに来たい時においでよと言われて、ジュンイチが浮かんだ。
男しか居なかったら嫌だと警戒したけどミナコやナオコがいるなら行ってみようかと言う気になった。
その日お互いの売りが終わった後にベル番を渡すから連絡するよう言われた。
私はPHSだけど二人はポケベルなので私がメッセージを打って待ち合わせ、家出仲間達が集まる廃ビルに招待して貰った。
灯りはもちろんあまりないけど布団もあって一人でいるより賑やかで女の子も他にもいたしカップルもいた、何より本当に温かく貴重品以外の荷物をロッカーに預けて毎日出し入れするよりうんと安くあがる。
私はこの日から拠点をこの廃ビルに移した、トイレはまだ水が通っていて使えるし間近にはマックがあるので洗面やメイクにも不自由しない最高の立地だった。
するとジュンイチが廃ビルに帰ってきて、真っ先に声をかけてきた。
ジュンイチはパー券を捌いたりもっと別の物を捌いたりして暮らしている、あとは未成年だけどスロットかパチンコ。
本当に昔は今より全然ユルかった、私たちの歳でも多少大人びてるカッコさえしてれば普通に打てたし身分証の確認なんかされた事もなかった、居酒屋もそう。
私は特にタイプでもない背の低い金髪のジュンイチと一緒にいる時間が増えていった。
でもミナコもナオコもジュンイチが好きだと言っていたので、あくまでも自分は付かず離れずの微妙な距離を置いて親しくしていた。
そんな時、ミナコには同じ14歳の彼氏が突然出来て17歳のナオコはジュンイチに告白してフラれてしまった。
自分はジュンイチになんの感情もなかった、でも向こうは違ってきた。
ある日売りを終えて廃ビルに戻るとそこには私とすでに出来上がっているカップルだけ。
布団に入ってさっさと寝てしまおうと目を閉じた、でもすぐに誰かが布団に入ってきて身を起こす。
そこに居たのはジュンイチで、好きだと言って一方的に押し倒してきた。
私はどうしたもんかと思ったけど、援交するのに抵抗もなくなった自分にとっては客だろうが好きでもない男との行きずりのセックスだろうがどちらも大差はなかった。
まぁお金は当然稼げた方がいいけれど…でも同い年の男に抱かれるのって考えてみたら初めてだった。
客は言わずもがなおっさんばかり、ヤマトもハラダもリョウタも年上だった。
一生懸命になって抱こうとする同い年の男を可愛くさえ感じた、私はこの一晩だけの互いの寂しさを紛らわす行為を許してしまった。
だがリョウタには一晩だけなんてつもりはない、翌朝起きると皆の中で私は『リョウタの彼女』になっていた。
リョウタが皆にそう言って周り、私は違うと言う気さえなくしてなぁなぁにしてしまった。
ところがこの男、売りに行く時間以外に一緒に過ごしていた事がなかったので一緒に行動するようになるとヤバい感じだなとわかってきた。
組の事務所に出入りし、たまに黒塗りの車がきてジュンイチを呼びつけ何かを渡す。
繁華街で1番大きな公園は有名な売人たちのシノギスポットだった。
ジュンイチは私を連れてネタを捌いたり、組の人に挨拶させたりするようになった。
その中に1人、カシワバラと言うチンピラがいて会うといつもニヤニヤといやらしい笑みを浮かべて足から舐めるように見上げてきた。
組に出入りしてると言ってもカシワバラ程度の男はチンピラだろうとすぐにわかる。
初めて会った時、品定めするように下から上へと下品な視線を浴びた事を今でも思い出す。
魔物は間違いなく、ここにいるのだ。
閉じ込める男。
インフルエンザでダウンしておりました、間があいてしまいましたが今日はタイトルのだめんずの話。
ヤマトとの関係が終わりハラダとも終わった私は好きでもなんでもないリョウタと言う男に会ったその日に付き合ってくれと言われて、どうでも良くてOKした。
文字通りリョウタは『閉じ込める男』でありその本性を知らない私はこの後、約1ヶ月半ほど人生で初めて監禁される事になる。
私がだめんずに引っかかる要因として最も大きい理由が“好きでもないのに付き合う自分も悪いからだ”と言う事に気付くのは病院で治療を始める頃。
この頃は自分だって皆みたいに愛されたいとか居場所が欲しいとか、ぬくもりが欲しいと人並みに女の幸せを願っていた。
私は当時ハラダとはポケベルで連絡を取っていて連絡が来ない間にPHSを持った、ダメ元でかけたハラダの自宅の留守電にPHSの番号を残した。
これを聞いたハラダがリョウタと付き合った翌日に電話をくれたのだが、これが良くなかった。
その電話がかかってきた時、私はリョウタの自宅にいて隣で通話の内容を聞かれていた…だからこそ「連絡待ってたんだよ!」と言う訳にはいかなかった。
1人だったら勿論リョウタとはソッコーさようならしていたと思う、まぁそれはそれでズルイと思うからきっと正直に話しただろうけど。
通話を終えると突然PHSを奪われて壁際に追いやられ事細かに尋問された、その時の表情はドラマなんかで見るサイコパスそのものだった。
私は一瞬で“しまった、やってしまった”と悟った。
リョウタは異常なまでに執念深く嫉妬深く束縛も尋常じゃない、ホストに向いてないんじゃないかと思うが逆にそう言うのが好きな女にはたまらないのか。
一緒に暮らそうみたいな話が付き合って2日で出ていたので一度荷物を取りに家に帰りたいと言うと「逃げる気だろう!」と殴られて手錠をされた。
乱暴に抱かれてそれを拒むと殴ったり首を絞めながらプレイする、奪われたPHSは押し入れにしまわれていてバッテリーは抜かれてしまった。
リョウタは夜19時頃に出勤するのだが、それまではずっと部屋にいて私に犬用の首輪とリードをつけたり、手錠か足枷をさせたりして漫画を読んだりゲームをしてくつろいでいた。
リョウタが外出や出勤の際には監禁事件よろしく、外から南京錠がふたつも掛けられてとても逃げる事は許されない。
では排泄はどうするのかと言うと大きい方の場合はリョウタがいる時か、不在時に催したらベランダにあるバケツ。これがまた憎たらしくてやっと手が届くギリギリの位置に置かれていてバケツの出し入れ以外は絶対に出来ないようになっていた。
小はコンビニにある500mlのリプトンのレモンティーの空の紙パックか牛乳パックにさせられた、帰宅すると風呂場で私にそれをぶちまけて来る。
大きい方はすると汚物として殴られるので帰宅まで我慢する。
一日に与えられる食事はゆで卵一個だけで元々痩せてはいたけど逃げる寸前にはガリガリになった、不在時に大便をされたくないと言う理由で食事はそれしか与えられなかった。
おかげで私は今もゆで卵(特に黄身)が食べられない、黄身を見るとリョウタを思い出す…リョウタは生の豚肉や生卵の黄身を塗りたくった牛肉を食べる事が多かった。
その異常な姿はとても恐ろしかった、何日もわざと風呂に入れさせずに汚い私を愉しんだりした。
完全に異常者だった。
そんな生活が1ヶ月半程続いたある時、私はついに逃亡の機会を得る。
リョウタは同伴出勤で家を早めに出た、お気に入りの太客らしくウキウキしながら出て行ったが携帯を忘れて出て行ったのだ。
すぐに気付いて取りに戻る事はわかっていた、私は慌てて携帯のダイヤルを押す。
暗記していたのはカヨコの番号だけだった、知らない番号は出ないかも知れない…お願いだから出てと祈った。
「もしもし?」と聞きなれたカヨコの声。
私は「時間がないの!監禁されて××市にいる、外から何とか見えるのは○○電機と言う看板で恐らく△△辺りだと思う、建物の近くから砂利の音がするから空地か駐車場かも」と言うとカヨコはメモを取って無駄口はきかなかった。
「何階建てかはわからないけど私は2階の角部屋にいる、ベランダの半分がうまい事見えない様に何か板を置いてるの、これが最後のチャンスなの。何とかコウジ先輩に連絡を取って車で探しにきて、酔って帰ってくると思うけど確実に22時なら逃げられるはずだから22時にもし見つけられたらクラクションを鳴らして、5分待って私が出て来なかったら帰って」と言うと通報しようと言われたが私は恐喝の呼び出し状の件があるので通報はしないでと言って切った。
リダイヤルの履歴を消して隅っこで寝たふりをすると戻ってきた音がする。
携帯を取って私の頬にキスをすると南京錠をしっかりかけてリョウタは出て行った。
22時にクラクションが鳴るのを待っている間にしなくてはならない事がある、それは外に出るための準備だ。
残念ながら外に出るには南京錠があって普通に出る事は出来ない、すなわちベランダから以外出る事は出来ない。
この日は首輪とリードを重たいベッドの脚に引っ掛けて手錠をされていた。
距離もギリギリなので何度も首が絞まってはえづき、それでも何とか動かしてリードを脚から抜いた。
何度も逃げようと思ったがもし失敗したら逃げようとした形跡だけが残り酷い目に遭う、とても出来なかった。
手首も首も内出血で凄いことになっていた、皮も剥けた。
ベランダを開けると板で隠されていただけでなくバケツ分以上に開かない様に不要品で埋められていた。
思いっきりガンガンやって窓を開けて身を捩りながら外に出る。
裸足で乗り越えて下を見ると完全に角部屋は死角で外からはこんな異常な光景、想像もつかないだろうと思った。
ここで問題がある、部屋は2階でもエントランスのような部分を計算すると3階近い高さがあった。
手錠は絶対に外せない、どうしようかと思っていると雨どいのパイプが目に付いた。
これをつたって降りる以外に方法がない、と思っていたらクラクションが聞こえる。
来てくれたんだと思って「こっちーー!」と思い切り叫んだ、この際住民が出てきてももう良いやと思った。
だってカヨコ達が探してきてくれた、もうそれだけで充分だった。
私は意を決してパイプを掴む、裸足だから滑らないけど手錠で思っているよりも進まない。
ゆで卵生活で力もない、あとちょっとと言うにはまだまだ距離がありすぎる。
その時カヨコと地元のコウジ先輩と他の仲間が集まってきて「飛べ!」と言った。
どうせ死ぬにしてもあんな部屋で死にたくない、私は手を離した。
ふんわりと、そんな感覚で落ちたのを覚えている。
後からリョウタはコウジ先輩によってボッコボコにされた。
人から聞いた話だとリョウタの母親は子供の頃、ほとんど育児もせずリョウタを置いて蒸発し地域の指導員の方たちからも生肉を食べたり動物を殺したりして残虐な反面、とても可哀相な幼少期を過ごした子として有名だったらしい。
だからと言って許しはしないけど、人の心の闇を見た。
そんな生活だった、きっとリョウタは文字通り外面良く自分の心も閉じ込めてしまえる「閉じ込める男」なのだろう。
これを機に、私は地元を捨てて繁華街へと単身家出する。
そこには悪魔がいた、私の人生で3本の指に入るトラウマとなる男との出会い。
次はそんな悪魔のお話です、今でもたまに苦しむあの男たちの顔は鮮明なのものとぼんやりしたものが入り混じっていて、最後まできちんと思い出すことが出来ないからこそ今でも苦しんでいるのかも知れない。
ささやかな思い出。
前回の記事に現在パートナーがいると書いたけど1番最初の記事に恋愛に興味がないと書いてあるので矛盾を感じた人も居たかも知れない、今回の話を始める前に改めて補足。
確かに私は男性との恋愛や性交渉に興味がなく嫌悪しており恋愛感情も欠如している。
ところが今のパートナーは私を長年に渡って支えてくれた大切な『人間』である。
私も人間なので人間を思いやる気持ちを取り戻す事は出来た、少しずつだけど。
その過程において自分にとって人生で初めて幸せをもたらしてくれたと思えた人が彼女だった、人間愛と恋愛で言う愛情に近い物が両方あって家族愛のような感覚もある。
ただし私が長年そう言った関わりを避けてきたので今はまだ上手く表現出来ないと言う事と、本当はもう少し後に話そうと思っていたのでタイミング的にごちゃごちゃになってしまった事は申し訳なく思います。
さて今日はヤマトと別れて援交しながら家出少女になった後、地元を離れて繁華街に赴くちょっと前の話。
恐喝で家に戻って呼び出し状が来るのを待つ間に結構な間があった、3ヶ月はあったんじゃなかろうか。
家に戻ってからすぐ中学を卒業するんだけど高校には殆ど行かなかった、行きたい専門学校には推薦で受かったけど行かせて貰えなかった。
家計はギリギリなのに私と姉はちょうど3つ離れていて私が高校入学の頃、姉は大学入学。
お金のかかる私立高校に無理して推薦入学したのも姉で、大学にも推薦入学した。
私の専門学校の学費は当然出ないし親は私になんの期待もしていなかったので、専門学校は諦めて公立に行くしかなかった。
やりたい事が出来ないなら働こうと思ったけど通える学区ギリギリの所に自分の望んでいた専門科のある公立があった、そこに入学したものの望んでいた授業内容とはおよそ程遠いものだった。
学区ギリギリのため、往復4時間かかり朝は5時半過ぎにチャリで最寄駅から電車に揺られた。
せっかく行っても公立だから国で決められたある一定時間の普通授業がある、むしろ一日の大半は理数国英社みたいな超普通の勉強で自分が学びたい専門的な授業は一日に1〜2回と言う事実には心底落胆した。
それで段々学校には行かなくなってとんかつ屋でバイトを始めた、初めての給料日には父が待ち構えていて全部取られたのを覚えている。
借金の返済が足りないからとバイトを始めた事を知ると手ぐすね引いて待っていた。
そんな時バイト先のハラダと言う3つ上の男と仲良くなって、シンナーを吸ってはセックスをすると言うロクでもない間柄がしばらくだけ続いた。
ハラダも複雑な家庭で育った、仕事にはちゃんと来たけど私が複雑な家庭環境にある事もすぐに見抜いた。
お互い傷を舐め合うだけの関係でシラフで抱かれる事はない、私は抱かれたらその気になってハラダを好きだと思うようになった。
会うのはいつもバイトの後で車でシンナーを買いに行ってハラダに抱かれる。
朝が来ると風呂に入り身支度を整えて別れる、好きと言ってもハラダは何も言わなかった、いつも何かとはぐらかされた。
ヤマトのすぐ後で寂しかったのもあるし、適当に処女も捨てたから好きな人に抱かれていると言う気持ちを感じたかったのもある。
ある日珍しくバイトのない日に呼び出されて私たちは初めてシラフで会ってデートした。
その後はどうせシンナーでも吸うんだろうと思っていたら、初めて部屋に呼ばれた。
ハラダの家には驚くほど何もなく居間の真ん中にカーペットと小さなテーブルがあるだけだった。
するとハラダは実は私がバイトに入った頃ハラダの両親が離婚する事になって、ハラダは母に着いて行く事が決まっていたため遠くに越さなくてはならない決まりだったと明かされた。
いつもいつも言おう言おうと思っても言えず、ついに明日引越しの日が来てしまったと。
好きだと言ってくれる度に自分もだと答えたかったけどどうせ遠くへ行く自分に、何が出来るのかと思うと言い出せなかったし気持ちにも答えてやれなかったと。
私たちは初めて、シンナーも酒も飲まず普通の男と女として抱き合った。
必ず向こうについたら連絡するからと。
一生懸命仕事を探して必ず迎えに来るからと。
ハラダはそう言って次の日私の前から消えてしまった、父は私のバイトの給料日を待っている。
支えだったハラダもいない、働いてもお金は一瞬で持って行かれてなくなってしまう。
父の搾取は援交を始めたきっかけでもあった、あとはハラダの引越し先の地図を見てあまりの遠さに毎日泣いた。
定規で測ればたったの数センチなのに、現実の距離はなんと遠い事か。
連絡があったら会いに行く為にもお金を作りたかった、汚いおっさんに抱かれていても天井さえ眺めていたらいつのまにか終わる。
何も考えないでただただハラダからの連絡を待った、2ヶ月待ったけど連絡はこなかった。
そうか、ハラダのあの美談は作り話で私とは遊びだったのかも知れないと思い始めた。
最初は新しい土地で不慣れな事もある、お母さんの事や仕事探しもある、そう思って渡された番号にかけられなかった。
でももしかしたら、ヤマトのように私は2番目か3番目だったのかも知れないと思うようになり、一度勇気を出して電話したけど電話には出なかった。
2ヶ月経った翌日、ホストにハマっていた子からたまには遊ばないと!と言われてその子が連れて来た男の子達と遊んだ。
その中のホストのリョウタに付き合ってよと言われて当然好きでも何でもないけどOKした。
とてももうハラダを待てなかった、高校はもうすぐ夏休み。
ホストクラブには一度も行った事もない私がホストと付き合う事になる、このリョウタは私を文字通り『閉じ込める男』となる。
不幸な事にリョウタと付き合う事になった次の日、ハラダから連絡があった。
神様の悪戯はいつだって残酷である。
私は「彼氏出来たから…」と言った。
ハラダは「そっか、よかったな…幸せにしてもらえよ」と言った。
待ってられなくてごめんと言うとハラダは良いんだと言った、田舎での仕事探しと下宿探しに苦労したそうだ。
胸が痛かった、今思えばたったの2ヶ月くらい何故待てなかったの?と思う。
今でもたまに思う、あの時待っていたらどうなったのかと。
そんな事思うだけ、無駄なんだけど。
箸休め的になんかポツポツと。
私は初めて心療内科に運ばれるまで、自分が鬱などの精神疾患を抱えている事には全く気付かなかった。
最終的には無理やり運ばれる事になるんだけど、それまでは自分のメンタルは強靭で傷ついたとしても〝全てを諦める〟と言う行為でその傷に蓋さえしてしまえれば、何でも我慢で済ませられると思っていた。
逆に言うと、その頃は人の嘘や裏切りに良く傷ついて絶望感を抱く度に「死んじゃいたいな」と思ったりしたし自分の体を傷つけたり、根性焼きで肉を焼いてみたりしていた。
その理由は単純明快で心の傷は目に見えないから自分の体を傷付ける事で、その傷跡を見るとその時に付けられた心の傷が目に見えてホッとすると言うか、自分に納得する事が出来たんだと思う、そしてその傷を見る度に怒りと絶望ともうこんな思いはするもんかと誓いを新たにしたもんだ。
団地の屋上のフェンスを越えて足の先は宙に浮いている状態、あと寸前で飛び降りるぞと言う所で発見されて引き摺り上げられた事もある。
時刻表や乗換案内のアプリなんかも当時はないので本屋で分厚い時刻表の本をみたり駅でくれる紙の時刻表をみて、始発のどの時間なら被害が最小限で飛び込み出来るか計算した事もあった。
でもいつか誰かに私の気持ちを、何十年も後でいいからわかって欲しいと思って死ぬ事は出来なかった。
酷い事をした男も私を騙した男もたくさん殴った男も最初から最後まで嘘しかつかなかった男も、いつか本当に愛する人が出来た時に私が口酸っぱく言ってきた事を思い出して「あの時あいつが口うるさく言っていたのはこう言う事だったのか」と、そう思って貰えたなら相手の人は幸せになって自分の苦労は報われるんじゃないかと信じていたかった。
その人に幸せにして貰いたいとか改心して欲しいと言う気持ちはなかったし最初はあったとしても最終的には微塵もなくなる、諦めの境地に達するのだ。
自己満で気持ち悪いと思うかも知れないけれど自分はどんなに尽くしても愛される事が出来なかった、それならいつかクソ野郎を卒業して本当に愛する人には酷い事をしないであげて欲しいと思っていた。
この世に嘘をつかない人間は恐らくいない、自分は散々嘘をつかれてきたからこそ人には嘘をつく事がないようにしている。
例えば本当は5cmくらいの蛾なのに「今日20cmくらいの蛾をみたの!」みたいな、オーバーリアクション過ぎるが故の可愛い嘘はあっても決して許されないような人を傷つけたり陥れるような嘘は絶対にないようにと常に正直である事を心がけている。
良く死にたいと思った頃と最後に心療内科に運ばれた頃の私は完全に別人だった。
死にたいと思う事は悲しい事、それは凄く胸が痛いし辛い事だと思う。
でもまだそう思えるうちは大丈夫。
本当に廃人みたいになってしまったら死にたいとすら思わなくなった。
生にも死にも自分が何者かにも興味がなくなった、そう言う時にきっとふっと飛び込んだりしてしまうんだろうなと今は思う。
その頃は入院したし退院してやっと通院になってからも毎回「変なこと考えるんじゃないよ」「死なないでね」と先生に言われた。
あまりに毎回言うのでうざったくて「死にたいとすら思いませんよ、そんな気力もないしどうでも良い」と言うと先生は「そう言う人がね、実は1番危ないんだよ」と言って苦笑いを浮かべていたっけ。
自分でも私が今生きているのが不思議だなと思うくらいこの人生には色々あった、普通の女の子だったら耐えられなくてそれこそ命を絶ってしまう人もいたかも知れない。
一旦は回復したけれど病気は再発して今は通院して2年半が経った。
それでも私は不幸か?と言うと今はそうではない、異性との出会いは徹底して避けているし昔の繋がりも全てを切って捨てた。
じゃあ今の私は?と言うとパートナーはいる。性別は女性で性嫌悪があるのでそう言った行為は一切ない。
相手は全てを知っている、私がこれから書く出来事もおよそ平凡とは程遠い人生だった事も。
私は元々異性愛者だから急に女を愛したかと言うとそうではない、何年もの歳月をかけて殴り合いの喧嘩をしたりほんの何度かそう言う事もしてみたけれど愛より友情という方がわかりやすい気がして恋人ではなくなった。
相手には別の人が出来た事もあるし、自分はそれでも大切な人だから心から彼女の幸せを願っていたし今でもそう。
レズビアンかと言われたら答えはNoだし、バイセクシュアルかと言われても答えはNoだ。
私のこの独特の感情をきっと生きている間に彼女にも他人にもわかってもらう事は出来ない気がする。
くっそ腹立つ時もあるしお互いなんだかなぁと思い喧嘩に発展する事もある。
それでも私は今が人生で1番幸せだ。
私が男の人にして欲しかった事は彼女が全てしてくれた。
だから彼女が好きなのではない、さすがにそんな事を履き違えるほど馬鹿ではない。
私がして欲しかったのは、毎日のように笑って話したまに美味しい物を食べに出かけて彼女のショッピングに付き合ったり2人で面白い番組をみて大爆笑したり、たまには喧嘩もするけれどやっぱり大切な人だと思いやれる関係である事、ただそれだけである。
巨額の富もいらないし、ささやかな贅沢が月に1〜2回で甲斐性なしでも何でもいい。
彼女が私に誠実で私も彼女に誠実である事が出来ればこの関係がずっと続いて欲しい。
私が死ぬ時は看取って欲しいし、私の全てを捧げて彼女の幸せを願っている。
私は男の人にそうして貰えなかったから、彼女を身代わりにしたのかと真剣に悩んだ事もあった。
でも、違う。私は彼女と言う人間が好きだ。
今つらくて死にたい人、いじめられて学校がつらい人、会社が苦しくてたまらない人、色々な胸の痛みがあると思う。
でも大丈夫、私もなんとかなった。
なんとかなる前に諦めて死んでしまうって手もある、でもそれは最後の最後にとっておいて欲しい。
自分も結果的にはそうなった、お陰で今も鬱と向き合って生きてるけど幸せだと思うし死ななくてよかったと思う。
私があまりに辛い人生に疲れ果てて死のうとした直前、当時良くネットで出会って電話してた友達からかかってきた電話で「今から死ぬんだ」といった時にある言葉が返ってきた。
今日はその言葉を最後に書き留めて終わりにする。
「死のうと思ったらいつでも死ねるけど、やっぱりもう一度生まれたいと思ってももう二度と生まれては来れない、だから死ぬのは最後までとっとけよ」
21歳ちょっと前、立体駐車場の上から死のうとした私に当時17歳そこそこの複雑な家庭環境の男の子が言った言葉。
私は一生涯、この言葉を忘れないようにしようと思って生きている。
私より辛い人、そうでなくても辛い人、皆にこの言葉が届きますように。
ふみ、家出少女になる。
私は中学に上がる少し前になると父から家庭内暴力を受けるようになった、殴られるのは母でも姉でもなく決まって私だけ。
例えば夕食の最中に醤油を取って来いと言われて醤油をテーブルに置く、その時に悪気はないけどカタッと音が立ってしまっただけで「親に対してその態度はなんなんだ!」とものすごい勢いで殴られた。
狭いアパートだったけど、居間から台所までぽーんと飛んだ事は何度もある。
そう言う時は決まって母はパートに出ていて、姉はかなり遠い私立高校に推薦入試で合格し無理して通っていたので帰りは20時を過ぎないと戻って来なかった。
親に殴られる時のあの気持ち、父親が般若のような形相で顔を真っ赤にして鼻の穴を膨らませてハァハァ言いながらブン殴ってくる。
酷い時はテーブルで頭を殴られて首が動かなくなって病院に行った。
医者はすぐに虐待だって気付く、だってあちこち身体中が痣だらけだし爪が食い込んで皮膚が引っ掻き回された跡もあるんだから。
警察に通報しますと言われて、それだけはやめてくださいと懇願した。
また殴られるのも嫌だし、母はすっかり見て見ぬフリだ。
外で野宿も冬場はきつい、いくらグレてたって溜まり場の先輩の家にもカップルがいるから毎日は行けない。
ヤマトを失ってからの居場所は、せいぜい寒空の公園の東屋か24時間のコインランドリーくらいだ。
次にもし病院に同じような事で来たら今度は絶対に通報するからね、と念を押されて帰路につく。
ヤマトに貰っていたお金も病院代で底をついてきた。
父親を殺そうと計画した事がある、二人きりの時はいつもタオルに包んだペティナイフをこっそり側に隠していた。
警察に電話して聞いた事がある、父親のDVでもしやり返して死んでしまったら私は殺人の罪に問われるのか正当防衛になるのかと。
答えはびっくりすることにNOだった、正当防衛が成立するのは夫婦間だけで親子の間では成立しないとの事だった。
そんな事より今から迎えに行くからあなたを保護したい、話を聞かせてくれないかと言われて電話を切った。
本当に成立するのかしないのかはわからない、調べたら今ならすぐにわかるだろうけど当時は私を保護したくてそう言っただけなのかも知れない。
真相はさておき、父親が私に難癖をつけてイライラし出して手を出すのはサラ金などの返済期限が迫った時だ、必ずお金がなくなるとそうなった。
自分はそんな父親に殺意を抱きつつも哀れむ気持ちも持っていた。
私くらいしか当たりどころがないんだろうと、きっと私が憎たらしい訳じゃなく当たる所が他にないんだよと。
そんな風に言い聞かせていたある日、父親が母のいる時に私の目つきが気に入らないと言って殴り始めた。
母はびっくりして止めに入った、当然「お父さん何してんのよ!」となる。
私が殴られながら反論すると、今度は何故か母親が逆上した。
庇ってくれると思っていた唯一の救いの手は差し伸べられる事はなく「お父さんがこんな風になってしまうくらいにお前がお父さんを怒らせたんだ」と言う母の勝手な決め付けで馬乗りになって殴りかかる父親と一緒に母親も私に蹴る殴るの暴力を振るった。
結局全てがそう、私はさっきまで居間で本を読んでいただけ。
それでも目つきが気に入らないと殴られる。
盗んでもいないのに万引きが流行れば主犯格にされ、暴力事件が起きればその場にいなくても私のせいになった。
学校で金品がなくなれば1番に私が疑われる、疑われても晴らしもしないし言い訳もしないからされるがままだ。
そんな気力なんかない、どこにあるって言うんだよ。
家に帰れば爆弾を抱えた気分で今日の父親の機嫌を伺いながら殴られる事に備える。
眠っている最中に2段ベッドの上から髪を掴んで下に引き摺り降ろされて何をわめいているかは聞き取れないけど、耳から血が出るまで殴られた。
気づいたら病院にいた事があるけど、目覚めたら隣にいた母が「お父さんにあんたが酷い事を言ったんだってね」と言って真相を聞こうともしなかった。
だから私は自分の気持ちを常に殺してきた、それでいい。
とうとう出て行って欲しいと言われた15の頃、ポケットに300円だけしかないのに家を出た。
寝泊まりはコインランドリーが暖かくて雑誌や漫画もあるし24時間あいているから安全。
お風呂は友達の親がいない時に借りて、おにぎりを恵んでもらったりした。
うまい棒を1日1本買うと当時は10円ポッキリで買えた、今は公式メーカーからうまい棒を4分割にする機械が売られているらしいがそんなものはないので自力で水平な所に置いて上から均一に力を入れると4分割になる。
それを朝に1/4本食べ、昼に1/4本食べ、夜に残りの2/4本を食べる。
甘いものが恋しくなったらツツジの蜜を吸った、水は公園でいくらでも飲める。
コインランドリーで何度も読んだヤンマガやサンデー、ゴシップ雑誌に飽きてきた頃。
着替えを詰めたリュックをふと見つめた。
パンパンになり過ぎて玄関のドアに突っかかって出れなくなってしまった私の背中を、母親が思い切り「オラ!さっさと出て行けよ‼︎」と蹴り入れて押し出した事を思い出す。
勢いよく前につんのめって転んだ手の平は擦り剥けて痛かった。
家を出てからもうすぐ20日、うまい棒も残り10日しか買えない計算になる。
最後のうまい棒を買った日、私は初めて恐喝をして3000円を手に入れた。
だからって何がどうなる事はなく、もちろん捕まって家に連れ戻された。
ボコボコと言うよりベコベコに殴られて姉とも疎遠になって、私は地元で家出するには限界があると悟った。
しばらくして、自分はイタズラ電話ではなく援交目的でテレクラを使うようになった。
地元で1番大きな繁華街に家出をした。
誰も私を知らないのはちょうどよかった、居心地が良い。
援交で手にした大金で毎日遊んで派手な服に派手なメイク、未成年なのに酒もタバコももっとよくない物にも手を出した。
周りには自然と集まってくる家出仲間たち、皆どんなに悪びれてみたって悲しい心の傷がどっかしらにある。
その頃自宅には3000円の恐喝事件の呼び出し状がきていたようだが、自分はとっくに地元にいなかったので勿論無視した形になる。
私はこの新しい土地で人生で1番最初のだめんずに出会い、事件に巻き込まれる事になる。
今でも一生忘れない、様々な傷を胸に抱えているけれどこれが1番最初の傷になる。
男に裏切られた女は皆「男なんて」と言う。
女に裏切られた男は皆「女なんて」と言う。
人間に傷つけられた人間はなんて言ったら良いんだろうね、この歳になっても今でもわからないのだけれど。
1個だけわかるのは、どれだけ殴られても痛いのは身体だけ。
心が痛いのはとても悲しい、そして寂しい。
私はもう、そんな風には生きたくない。
ファーストだめんず・後編
少し間が空いてしまいましたが、後編。
ふみはこの時14歳でヤマトは38歳、24も違ったら親子に見えても不思議ではない。
今なら写メを送ったりSNSで写真をあげたりして互いの顔を知ってから会う方法はあるけど、私たちの出会いはテレクラ。
つまり声だけしか情報がない、話してる事も全てが本当とは限らない。
ヤマトだって会うまでは自分が妻子持ちで彼女がいる事を隠していたし、前編では次の日曜日としか書かなかったけど実際に私とヤマトが会うまでには約1ヶ月程を要している。
理由は単純で自分がテレクラにイタズラ電話と言う簡単な感情としてではなく、会いたいと言う感情を持ってしまった受話器越しの男に本当に会う事に躊躇いもあったからだ。
前編に書いた通り、自分が躊躇った理由はヤマトの容姿や素性なんかが理由ではない。
好きになってしまったら苦しい恋だとうっすら感じていたからだ、実際会う事になる頃には本当はもう好きだった。
ついにご対面となったヤマトは歳よりずっと若く見えて、イケメンとまでは言えないまでも決して不細工ではなかった、中肉中背の茶髪の男で会ってすぐに別居中の妻子持ちである事と高校生の彼女がいる事を告げられた。
もしその事を伝えたら会えなくなるのは嫌だったから今日まで隠してしまった、今すぐに帰っても仕方ないと思っていると言われて胸がツンとした。
でも私は帰らなかった、ヤマトは別居中なのでスタジオの中にある自室で暮らしていた。
私たちはスタジオで散々喋ってご飯を食べて、いやらしい事はしばらくしなかった。
ハグとキスくらいで、もう少し先の事をするようになるまで結構何回も会った。
ヤマトは勿論したいと言ったけど、私は最後までする事を断っていた。
ヤマトに会えば会うほど好きになった。
父親に殴られてフラフラしながら連絡をすれば車で飛んできてくれたし、スタジオの受付のお兄ちゃん達も経営者のヤマトが私を連れて来る事に慣れて来た。
お兄ちゃんも色々話しかけてくれるようになったし、父親が荒れて帰りたくない時は泊めてくれた。
連絡して制服のまま会いに行くとロリコンなのでヤマトは大層喜んでくれたけど、私は知ってる。
クローゼットの中に、有名な女子高校の制服がかかっている事を。
ある時こっそり受付のお兄ちゃんに聞いたら、それは彼女さんの物だと教えてくれた。
落胆した姿は見せていないつもりでも受付のお兄ちゃんは私よりも大人だ、すぐに見抜かれた。
受付のお兄ちゃんは、ヤマトさんはいい人だけどあんまり好きになると後が辛いよと言った。
「ふみちゃんと彼女以外の子を連れて来る事は絶対にないし、君の事を特別に思っているのは見ててもわかる。でも本当に幸せ?」と聞かれて私は俯いてしまった。
ヤマトと一線を越えられなかったのは処女を捨てるのが怖いからじゃない。
いつもベッドの向こうにあるクローゼットの中が気になって身を任せられなかった。
あのクローゼットの中にある彼女さんの制服が、ずっと私達を見ている気がして。
ただの布切れの制服が〝彼女さんの存在には勝てないよ〟と言ってる気がして。
ヤマトは私が野宿をしたり親に殴られてフラフラするのを嫌がった、別れ際にいつも5000円をくれた。
ちょっとそう言う事をしようとしまいと必ずくれた、援交みたいでイヤって言うと心配しているんだから素直に受け取ってといつも言う。
当時の女子高生の援交相場はウン十万だ、容姿が良ければもっと。
容姿が悪くても処女なら高値がつく。
私にくれていた5000円は私の価値がその金額と言う意味ではないと信じていた。
貧乏な我が家にとっても大金だし、何故こんなお金を持っているのかはばれないように工夫した。
初めて5000円を貰った時に本心ではこれはお金の関係で、そこに愛や恋はないとわかってた。
だから書く相手もいないのに何に使っていいのかわからず、ガラにもないほどに可愛いレターセットとシールとそれから可愛いペンを買った。
いつか踏ん切りがついたら、これでヤマトにさよならの手紙を書こう思って買った。
私は受付のお兄ちゃんの言葉を頭の中でずっと繰り返していた。
ヤマトは確かに優しい、私の唯一の居場所だし好きで仕方ない。
でも将来どうなる訳でもないし、実際私が切ない想いで胸を掻き毟りたい夜も彼女といる。
どんなに愛したって私の物にはならない。
どんなにどんなに愛しても自分だけのヤマトにはならない。
奥さんと子供と彼女、それに14歳の私が勝てるはずもないんだ。
ヤマトに初めて貰った5000円で買った可愛いレターセットで最初で最後の手紙を書いた。
14歳の私なりの精一杯の感謝と告白とさようならの手紙だ。
アポも取らずにスタジオに行ったら受付のお兄ちゃんが慌てて出てきて言った、今はダメだよ!彼女さんが来てるよと。
私は「もういいんだ、すぐに帰るよ。これ渡しといて」と言って手紙を渡した。
帰り道はポケットに手を突っ込んでワンワン泣きながら歩いて帰った。
ヤマトのスタジオからうちまで歩いて帰ったら4時間くらいかかった。
何が悲しかったのか、最初から知って始まった関係だったのに。
カヨコにも話せなかった、恥ずかしくて情けなくて、でもまだ愛してたから。
この当時、携帯なんかなくてよかった。
連絡はいつも私がスタジオにかけた、家にかけて貰う訳にはいかないからヤマトは私の連絡先を知らない。
学校の制服を頼りにヤマトが後日、私の学校にやってきた事がある。
真っ赤なスポーツカーは良く目立った、私は嬉しい気持ちを押し殺して裏門から帰った。
ヤマトの姿はそれが最後だ。
2〜3年後、カヨコに全て話したら怒り狂った。
電話で文句を言ってやると言うからやめてくれと言ったけど、スタジオはタウンページに載っているのでカヨコは勝手にかけてしまった。
何を言うか決めずに見切り発車でかけたもんだから、ただの無言電話になってしまった。
オンフックのスピーカーから聞こえてくるもしもし?と言う声は間違いなくヤマトのものだった、胸が痛かった。
さっさと切ればいいのにヤマトは切らない。
ただの無言電話で一言も発さなかったのに、切ろうとした間際にヤマトが言った。
「もしかしてふみちゃん?今どうしてるの?」
そんな訳ないだろうと思うでしょう?でもヤマトは続けて言った。
「今幸せにしてるの?あの後ずっと探したんだよ、どうしてあんな手紙…でも傷つけてごめんね」と。
私は声を殺して泣いた、カヨコが勝手にかけたせいなのにカヨコも泣いた。
すすり泣く声は聞こえてしまったと思う。
私はこの時期、とても不幸な時期だった。
一途でなく、卑怯であり、浮気でもあり、不倫で不誠実なヤマトは決してだめんずではないとは言い切れない。
でも私には優しい良い男だった。
泣きながら4時間かけて歩いて帰った次の日、私はその辺の知らない男と寝た。
処女はそんな捨て方だった、大事な物だと思っていたからさっさと済ませて大事じゃなくしたかった。
私のだめんず遍歴は自分が招いた部分もあるだろう、全部を他人のせいにする気はない。
ただ思うのは初めてをヤマトに捧げなくて良かったなーと言う事、捧げていたらきっと離れられなかった。
14歳でどんなに愛しても自分だけの物にならない愛の辛さを知った、地獄のような葛藤だった。
皆がクラスの誰それが可愛いだの、サッカー部の誰がかっこいいだの、アイドルや芸能人の話に夢中になっていたあの頃。
私は悲しいけれど愛を知った、そのあと数年経ってかけた無言電話でもヤマトは私を感じてくれた。
ただそれだけが当時辛い出来事に巻き込まれていた私にとって救いとなったのは、また次の機会に。